豊橋市議の長坂です。
好きな食べ物はブラックサンダーです。
豊橋のご近所、岡崎市にあるビジネスサポートセンター「オカビズ」にて、元NHKアナウンサーの堀潤さんのお話が聞けるということで、行って参りました。

http://www.oka-biz.net/seminar/entry-430.html
堀さんのことを知ったのは、たぶん2011年の地震前後だったと思います。
一時期は、毎日のようにテレビで堀さんを見ていた気がします。
そして、Twitterで積極的な、いい意味でNHKらしからぬ投稿を見るにつけて、
「おお、なんかこの人すげー」と。
そしてNHKに所属したまま、アメリカへ留学。
その後の経緯については、いろんな話があるようで、一説としてwikipediaを貼っておきます。
「あー、やっぱやめられたかー」と、ワクワクした気持ちでいたことを覚えています。
そして、この度岡崎にいらっしゃるということで、
「堀さんって、今何をしていらっしゃるんだろう?」
という興味本位で、行って参りました。
ニュースクロスやabema news、少し前までテレビ愛知の「激論コロシアム」に出演されていたのは知っているのですが、画面で見ない堀さんが何をされているか、気になっていたのです。
■
なぜぼくがそんなに堀さんを気になっているのか。
ここで、少し僕とメディアの話を。
10数年前の大学生のとき、ぼくは「市民メディア」なるものの少し近くにおりました。
未だに「市民メディア」を自分の言葉でうまく説明できないので、こちらも貼っておきます。
映像ではないですが、今ぼくがブログでやっているまさにこれです。
当時、元TBSアナウンサーで、「市民メディア・アドバイザー」の下村健一さんに指導いただいていたのですが、下村さんは、「ゼロ次情報」という言葉も使っていました。
2次情報(間接情報、人づて)に対しての、1次情報(メディアが当事者を直接取材・発信)。
だから、当事者そのものが発信するのは、0次情報だ、と。
当時、僕がつくった作品がこちら。
手筒花火に、ファイヤーストーム。
今振り返れば、当時からどんだけ地元を発信したかったんだよ、と。
ちなみに当時は、youtubeもスマホもなく、
自分たちでサーバーを借りて、今はもうあまり見ないDVテープのビデオカメラで撮っていました。
(だから、この作品は最近youtubeにアップしたもの)
手筒花火やつを大学2年か3年のときに、慶應大学の文化祭であった映像コンテストに出したのですが、
そのときに大学の先生(?)が、携帯で撮った画像をその場で携帯からウェブにアップするデモをして、
「へー、なんかすごい!」
と思った記憶があります。そんな時代です。
確かぼくが大学3年ときにmixiやgreeが登場したので、その頃です。
■
前置きが長くなりましたが、今の堀さんが市民メディア的にどんな活動をされているのか。

お話を聞いてぼくの素直な感想は、
「10年前とあまり変わっていない」
■
この10年でネットとテレビ、メディア、ジャーナリズムの関係は劇的に変わりました。
最も変わったのは、「文字メディア」です。
「ブログジャーナリズム」「ネット論壇」という言葉もできました。
いろんな専門家のオピニオンを直接読むことができますし、
僕も情報のほとんどは、ネットから得ています。
(但し、地元や市政に関する情報は別)
画像についても大きく変わりました。
まず圧倒的に多くの人が写真を撮るのがうまくなった。
デジカメとスマホの力だと思います。
そして、いわゆる「写真」でない画像の使い方もとても増えました。
記録やメモなど。 画像に文字が載っていることも多々あります。
動画撮影もここ数年で大きく変わったと思っています。
撮るのがうまくなった、というより無駄にダラダラ撮らなくなった気がします。
長時間見てもらう動画を撮ることは本当に難しいです。
Twitterなどでバズっている動画もだいたいが1分以下、というか10数秒くらいでしょう。
これは今まで映像は本当のプロの作品(テレビ・映画など)にしか触れなかったのが、
youtubeなどたくさんの素人動画に触れる機会が多くなったからではと思っています。
そして、最近テレビでよく目にするのが、
「Twitterより」「フェイスブックより」「インスタグラムより」の文字。
10数年前は、こんなに気軽にネット動画を放送することがなかった気がします。
もちろん、アップされる数が膨大に増えたので、その中でも
「テレビで取り上げる価値があるもの」が相対的に増えただけかもしれませんが。
でもやはりそれだけでなく、当時のマスメディアには
「ネットなんか」という反発心的なものがあった気がします。
それでも昔から事故事件の「決定的瞬間」があれば、「視聴者撮影」の動画が使われていました。
例えば、1999年に起こった豊橋の竜巻では、ニュースのトップに豊橋の人が、
家庭用ビデオカメラで撮影した映像が使われたと聞いています。
「1億総カメラマン」時代の今なら、ものすごいことになっていたでしょう。
■
じゃあ、何が「変わっていない」のか。
それはいわゆる「ニュース」を、自分で取材撮影、更に「編集」して発信する人の裾野は、
メディアに関する他の劇的な変化に比べて、増えていない広がっていない、ということです。
堀さんの、8bit Newsのお話を聞いて感じたのは、どこかしらにプロである堀さんらが関わっている、
関わらないと広がりある発信にならない、そこが変わらない、変わっていない。
結局は、そういう人の「目に留まる」ということが重要になってくる。
今でも実際に「Twitterより」「フェイスブックより」とテレビで放送される多くの映像は、
撮影者が強い問題意識を持って撮影・発信したものでなく、
たまたま遭遇した事件・事故の動画が圧倒的に多いです。
(最近なら例えば、博多駅前の道路崩落瞬間の動画)
では、動画の「編集」の裾野が広がっていないかというとそうではなくて、
PPAPをはじめ、youtuberのようなお笑い的なものはドンドン増えているし、
インディーズバンドのPVなどアーティスティックなものも増えている。
ニュース的なもので増えているのは、おそらくは、記者会見などの中継的なものと、
専門家たちが座談会的に討論しているものではないかと。
つまり、ある程度の予定性・計画性があるもの。
「ニュース」や「社会課題」というのは、根本的につまらなくて、小難しいものだから、
それをあきないよう途中で目を離さないよう魅力的な長時間(と言っても5分以上でも)
に仕上げるのは本当に大変。
そしてなおかつそこに映っているものも、撮りに行かないといけない、
取材に行ってもそんないい映像は撮れないなど、本当にハードル高い。
そういう意味で、「ニュース」を素人が撮影し、編集し、発信するという
ハードルがまだまだ高いことを実感しました。
■
でも、そのハードルの高さが何なのかは、ぼくもまだわかっていなくて、
技術的なものや、労力的なこともあるだろうけれども、
そこまでして知ってほしいことがあるかどうか、という気持ちの問題もある気がします。
お笑い動画や、ミュージックビデオに比べると。
当事者が放つ社会課題というのは、つまり、
「私はこれで困っています」ということ。
それを自らが表出するのは憚られることもあるし、
多くの場合、エゴやわがままに見えかねない。
堀さんのお話の中では、熊本の地震で救援物資が届かない話が出てきて、
これはわかりやすく、地震という非常時だから理解を得られる。
けれども、日常生活で、
「私はお金がなくて困っている」と発信しても、広がりは望みにくそうだし、
(むしろ、叩かれるかも)
「私がお金がないのは、無職だからで、
それは若者の雇用環境がわるいからで、それは社会問題だ」
としても、なかなか難しそう。
そういう意味で、
「保育園落ちた日本死ね!!!」
って改めてすごい。
■
欧米の動画なんか見ると、みなさんリポートがうまいと思う。
カメラの前に立つこと、人前で話すことに慣れているというか。
自分でうまくリポートできると編集の手間も省けるし、
堀さんみたいに「自分で撮りながら話す」ことができる人が増えると、
裾野が広がるのかも。
フェイスブックとかで自分の姿を発信することに慣れている人は、
若い人ほど増えているす、そういうところから何か変わるかもしれない。
堀潤さんの8bit Newsはこちらです。
好きな食べ物はブラックサンダーです。
豊橋のご近所、岡崎市にあるビジネスサポートセンター「オカビズ」にて、元NHKアナウンサーの堀潤さんのお話が聞けるということで、行って参りました。

http://www.oka-biz.net/seminar/entry-430.html
堀さんのことを知ったのは、たぶん2011年の地震前後だったと思います。
一時期は、毎日のようにテレビで堀さんを見ていた気がします。
そして、Twitterで積極的な、いい意味でNHKらしからぬ投稿を見るにつけて、
「おお、なんかこの人すげー」と。
そしてNHKに所属したまま、アメリカへ留学。
その後の経緯については、いろんな話があるようで、一説としてwikipediaを貼っておきます。
NHKをやめられたときは、2012年6月よりアメリカ合衆国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に客員研究員として派遣され、SNSの活用などを研究。 留学中にビデオ映画『変身』を自主制作した。 15日、宇野常寛とともに、放送への市民参加の実現と市民による発信力の強化に貢献することをめざして、市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げる。
2013年春の帰国後、報道担当を外れ、『きょうの料理』で司会を担当することが決まっていたが、同年4月1日付でNHKを退職。 福島第一原子力発電所事故報道におけるNHKの姿勢をTwitterで批判したためと本人は主張している。 更にはNHK上層部が『変身』の上映阻止に動いたため、制作ドキュメント『変身 Metamorphosis メルトダウン後の世界』を2014年に上梓。
https://ja.wikipedia.org/wiki/堀潤
「あー、やっぱやめられたかー」と、ワクワクした気持ちでいたことを覚えています。
そして、この度岡崎にいらっしゃるということで、
「堀さんって、今何をしていらっしゃるんだろう?」
という興味本位で、行って参りました。
ニュースクロスやabema news、少し前までテレビ愛知の「激論コロシアム」に出演されていたのは知っているのですが、画面で見ない堀さんが何をされているか、気になっていたのです。
■
なぜぼくがそんなに堀さんを気になっているのか。
ここで、少し僕とメディアの話を。
10数年前の大学生のとき、ぼくは「市民メディア」なるものの少し近くにおりました。
未だに「市民メディア」を自分の言葉でうまく説明できないので、こちらも貼っておきます。
市民メディア(しみんメディア)とは、記事を執筆することを生業とするプロフェッショナルのジャーナリストではない一般市民によって制作されたメディア (媒体)。 市民メディアは、市民ジャーナリズム、参加型メディア、民主的メディアといった概念と関連している。
市民メディアは、テレビ、ラジオ、インターネット、電子メール、印刷物などの媒体を通じて流通している。 身近な例では、無料新聞、インターネット新聞、ネット配信、ブログ、ポッドキャスト、ミニFMなどがある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/市民メディア
- 自分で伝えたいこと(社会課題など)を見つけ、
- 自分で伝える形(映像・記事など)にし、
- 自分で発信する
映像ではないですが、今ぼくがブログでやっているまさにこれです。
当時、元TBSアナウンサーで、「市民メディア・アドバイザー」の下村健一さんに指導いただいていたのですが、下村さんは、「ゼロ次情報」という言葉も使っていました。
2次情報(間接情報、人づて)に対しての、1次情報(メディアが当事者を直接取材・発信)。
だから、当事者そのものが発信するのは、0次情報だ、と。
当時、僕がつくった作品がこちら。
手筒花火に、ファイヤーストーム。
今振り返れば、当時からどんだけ地元を発信したかったんだよ、と。
ちなみに当時は、youtubeもスマホもなく、
自分たちでサーバーを借りて、今はもうあまり見ないDVテープのビデオカメラで撮っていました。
(だから、この作品は最近youtubeにアップしたもの)
手筒花火やつを大学2年か3年のときに、慶應大学の文化祭であった映像コンテストに出したのですが、
そのときに大学の先生(?)が、携帯で撮った画像をその場で携帯からウェブにアップするデモをして、
「へー、なんかすごい!」
と思った記憶があります。そんな時代です。
確かぼくが大学3年ときにmixiやgreeが登場したので、その頃です。
■
前置きが長くなりましたが、今の堀さんが市民メディア的にどんな活動をされているのか。

- ご自身たちで取材・発信
- ユーザーの投稿動画などを元に発信
- ユーザーの投稿動画などをきっかけに取材に行って発信
お話を聞いてぼくの素直な感想は、
「10年前とあまり変わっていない」
■
この10年でネットとテレビ、メディア、ジャーナリズムの関係は劇的に変わりました。
最も変わったのは、「文字メディア」です。
「ブログジャーナリズム」「ネット論壇」という言葉もできました。
いろんな専門家のオピニオンを直接読むことができますし、
僕も情報のほとんどは、ネットから得ています。
(但し、地元や市政に関する情報は別)
画像についても大きく変わりました。
まず圧倒的に多くの人が写真を撮るのがうまくなった。
デジカメとスマホの力だと思います。
そして、いわゆる「写真」でない画像の使い方もとても増えました。
記録やメモなど。 画像に文字が載っていることも多々あります。
動画撮影もここ数年で大きく変わったと思っています。
撮るのがうまくなった、というより無駄にダラダラ撮らなくなった気がします。
長時間見てもらう動画を撮ることは本当に難しいです。
Twitterなどでバズっている動画もだいたいが1分以下、というか10数秒くらいでしょう。
これは今まで映像は本当のプロの作品(テレビ・映画など)にしか触れなかったのが、
youtubeなどたくさんの素人動画に触れる機会が多くなったからではと思っています。
そして、最近テレビでよく目にするのが、
「Twitterより」「フェイスブックより」「インスタグラムより」の文字。
10数年前は、こんなに気軽にネット動画を放送することがなかった気がします。
もちろん、アップされる数が膨大に増えたので、その中でも
「テレビで取り上げる価値があるもの」が相対的に増えただけかもしれませんが。
でもやはりそれだけでなく、当時のマスメディアには
「ネットなんか」という反発心的なものがあった気がします。
それでも昔から事故事件の「決定的瞬間」があれば、「視聴者撮影」の動画が使われていました。
例えば、1999年に起こった豊橋の竜巻では、ニュースのトップに豊橋の人が、
家庭用ビデオカメラで撮影した映像が使われたと聞いています。
「1億総カメラマン」時代の今なら、ものすごいことになっていたでしょう。
■
じゃあ、何が「変わっていない」のか。
それはいわゆる「ニュース」を、自分で取材撮影、更に「編集」して発信する人の裾野は、
メディアに関する他の劇的な変化に比べて、増えていない広がっていない、ということです。
堀さんの、8bit Newsのお話を聞いて感じたのは、どこかしらにプロである堀さんらが関わっている、
関わらないと広がりある発信にならない、そこが変わらない、変わっていない。
結局は、そういう人の「目に留まる」ということが重要になってくる。
今でも実際に「Twitterより」「フェイスブックより」とテレビで放送される多くの映像は、
撮影者が強い問題意識を持って撮影・発信したものでなく、
たまたま遭遇した事件・事故の動画が圧倒的に多いです。
(最近なら例えば、博多駅前の道路崩落瞬間の動画)
では、動画の「編集」の裾野が広がっていないかというとそうではなくて、
PPAPをはじめ、youtuberのようなお笑い的なものはドンドン増えているし、
インディーズバンドのPVなどアーティスティックなものも増えている。
ニュース的なもので増えているのは、おそらくは、記者会見などの中継的なものと、
専門家たちが座談会的に討論しているものではないかと。
つまり、ある程度の予定性・計画性があるもの。
「ニュース」や「社会課題」というのは、根本的につまらなくて、小難しいものだから、
それをあきないよう途中で目を離さないよう魅力的な長時間(と言っても5分以上でも)
に仕上げるのは本当に大変。
そしてなおかつそこに映っているものも、撮りに行かないといけない、
取材に行ってもそんないい映像は撮れないなど、本当にハードル高い。
そういう意味で、「ニュース」を素人が撮影し、編集し、発信するという
ハードルがまだまだ高いことを実感しました。
■
でも、そのハードルの高さが何なのかは、ぼくもまだわかっていなくて、
技術的なものや、労力的なこともあるだろうけれども、
そこまでして知ってほしいことがあるかどうか、という気持ちの問題もある気がします。
お笑い動画や、ミュージックビデオに比べると。
当事者が放つ社会課題というのは、つまり、
「私はこれで困っています」ということ。
それを自らが表出するのは憚られることもあるし、
多くの場合、エゴやわがままに見えかねない。
堀さんのお話の中では、熊本の地震で救援物資が届かない話が出てきて、
これはわかりやすく、地震という非常時だから理解を得られる。
けれども、日常生活で、
「私はお金がなくて困っている」と発信しても、広がりは望みにくそうだし、
(むしろ、叩かれるかも)
「私がお金がないのは、無職だからで、
それは若者の雇用環境がわるいからで、それは社会問題だ」
としても、なかなか難しそう。
そういう意味で、
「保育園落ちた日本死ね!!!」
って改めてすごい。
■
欧米の動画なんか見ると、みなさんリポートがうまいと思う。
カメラの前に立つこと、人前で話すことに慣れているというか。
自分でうまくリポートできると編集の手間も省けるし、
堀さんみたいに「自分で撮りながら話す」ことができる人が増えると、
裾野が広がるのかも。
フェイスブックとかで自分の姿を発信することに慣れている人は、
若い人ほど増えているす、そういうところから何か変わるかもしれない。
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http://8bitnews.org/