地元紙の東日新聞様から、こちらのブログや議会での質問を踏まえて、LGBTに関して取材をいただきました。
今月8月末ころの記事になるようです。

その背景の一端には、こちらのニュースの存在もあります。
「同性愛だと暴露された」転落死した一橋法科大学院生の両親、同級生を提訴|弁護士ドットコムニュース
https://www.bengo4.com/internet/n_4974/
なので、取材後にこの件についても記者と話をしました。
取材を受けた内容とは直接関係ないので、ブログで書きます。



※以降の記事に倣って、転落死した学生を「A」さん、訴えられた(元)学生を「Z」さんとします。

ぼくは、一連のニュースを見ていて、欠けているものがあると思っています。
それは、じゃあZさんは、どう対応すればよかったのか、ということです。

こちらの記事にあるように、Aさんは、自身が同性愛であることを親にも伝えていませんでした。
一橋大・ゲイとばらされ亡くなった学生 遺族が語った「後悔」と「疑問」 https://www.buzzfeed.com/kazukiwatanabe/family-told-about-their-son-and-hitotsubashi-lawschool?utm_term=.kt5GG01E6
それをZさんが知っていたかどうかはわかりませんが、そんな重要な「秘密」を一方的に打ち明けられ、かつ、彼の気持ちには応えられないZさんは、どうすればよかったのか。

「一生、秘密にしていればよかった」

というのが、模範回答とは思いますが、この告白以降ずっと会わない相手ならまだしも、学生生活を送る上で、毎日のように顔を合わせる友人が相手で、誰もが「一生、秘密に」できるのでしょうか。 特にロースクールは一学年の人数が少なく、かつ、必修も多い(はず)なので、多くの人が想像する学生生活以上に、人間関係は緊密です。

Aさんが告白されてから、あのLINEまで、約3ヶ月あります。
この3ヶ月のAさんの気持ちにも、考えを巡らせてもいいのではないでしょうか。
家族によると、Aくんの遺書や残されたメッセージなどから浮かんだ事件の経緯は、以下の通りだ。

2015年春、一橋大学ロースクールで出会った同級生Zくんに、Aくんは「好きだ、付き合いたい」と告げた。Zくんの答えは「付き合うことはできないけど、これからもよき友達でいて欲しい」。Aくんは「ありがとう」「悲しいけどすげー嬉しかった」と返した。

だが、約3カ月後の6月24日、Zくんは同級生たち9人でつくるLINEのグループチャットで、「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめんA」と暴露した。

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付き合うことはできないけど、これからもよき友達でいて欲しい

というZさんの返答は、断り方の見本のようで紳士的であり、Zさんのそんなところを、Aさんも好きになったのかもしれません。

そして、Aさん自身も、99%以上断られるのがわかった上で、それでも気持ちが抑え切れずにの告白でしょう。 振られるための告白というか、これだけでも切ないです。


それでもZさんは、本当にAさんと「よき友達」でい続けようとしたのだと思います。 でもそれができなかった。 それができなければ、「友達」も解消すればよかったのだけど、それもできなかった。

なぜなら、ロースクールの学生同士で、毎日のように顔を合わせる関係で、仲のよい「友人グループ」のメンバーでもあった。 この2人の間だけ「友達」を解消するのは、非常に困難でしょう。

この3ヶ月、たぶんZさんなりに、自然に振る舞おうとか、意識しないようにしようとかしてもダメだった。 耐え切れず、悩んだ末での、

おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめん

ぼくがはじめにこのLINE画像を見たとき、さいごの「ごめん」は、裁判で不利になるだろうな、という目線で見ていました。 でも今はそれだけでなく、Zさんが自分だけで秘密を抱え込むことの耐え切れなさ、辛さも感じます。



Zさんが、どうすべきだったかを考える必要があると思っているのは、これがZさんだけの問題ではなく、いつぼくたちも突然に、同じような出来事に遭遇するかわからないからです。

応じられない異性からの告白についての適切な対応、については多くの人が大なり小なり、小さな失敗もしながら、本やテレビなどで情報も得ながら、少しずつ学んで行くのだと思います。

しかし、同性からの告白についての適切な対応、は全然わかりません。
学ぶ機会も限りなくありません。

「想像力の欠如」

という言葉をどこかの記事で目にしましたが、「傷つく」くらいは想像できても、「心療内科に通い、パニック発作を起こすほど傷つく」ということまでの想像力を、多くの異性愛者に求めるのは、現状ではなかなか難しいところかと。

それも含めての、想像力の欠如、生きづらさと言われてしまっては仕方がないですが、こういう現状を受け入れてスタートしなければ、何も始まりません。

その一端として、やはり、身近に起こりえて、かつ深刻なことになってしまうかもしれないケースである「告白への対応」については、もっと多くの紙幅が割かれてもよいかと思うのです。 これこそがまずは理解につながるのではないかと。



自身も「ゲイ当事者」であり、今回の原告代理人弁護士が、インタビューにこのように答えています。
A君のことを「昨日の自分」「明日の自分」のように受け止める人が実はたくさんいるということを、
ヘテロセクシュアルだけを当たり前と思っている人が、
あるいは裁判官が気づくことはとても大切だと思います。

 - 一橋大学ロースクールでのアウティング転落事件〜原告代理人弁護士に聞く、問題の全容
http://life.letibee.com/hitotsubashi-suicide/
これはLGBT向けメディアのため仕方がないのかもしれませんが、Zさんが「明日の自分」という人も、それ以上にたくさんいるかもしれないという目線も、メディアや社会には同じく必要なのではないかと思いました。

そして、今回の事案から、ぼくたちが学ぶべき最大のことは、適切な「告白への対応」なのではないかと。

では。