先日、こんな記事を書きました。

 - あれ?もしかして憲法に違反してても法律って作れるんじゃね? - 愛知豊橋・長坂なおと のblog
 http://nagasakanaoto.blog.jp/150625.html

これに応じて、法律家の知り合いらが下記のようにアドバイスくれました。
憲法違反の法律であっても、国会の多数決があれば、法律として世に出せる、というのはおっしゃるとおり
憲法の文言は抽象的だから解釈の余地は広くて、政府が「私たちの解釈では合憲です。私たちのご意見番である内閣法制局も合憲と言っています。」として法律を作ってしまえば、とりあえずは、その法律の描いたように世の中は進んで行く(法律家から見て違憲に見えるとしても)。
うーん、どうやら推測は当たっていたみたい。 じゃあ、どうして、裁判所の違憲立法審査が事前に行われないかというと、
憲法を解釈する権限は最終的には最高裁にあるんだけど、国民から選ばれたわけではない裁判官で構成される最高裁が、国民によって選ばれた人で構成される国会・内閣の法律について解釈することについては、謙抑的であるべき。 だから、最高裁は、
  1. 国民の権利が具体的に侵害されない限りは、憲法についての判断はしないし、
  2. 高度に政治的な問題については判断しない。
ということ。 「謙抑的」という言葉がわかりにくいけれど、選挙で選ばれた人が集まる国会や内閣と、裁判所とでは、必ずしもパワーバランスが均等ではないようで、
憲法を守るという観点からはちょっと不十分に見える部分ができちゃったけど、最高裁が積極的に介入して政府が機能不全に陥るリスクと、民意から独立した中立な立場の最高裁が介入できないことで政府が暴走するリスクをバランスしようとした結果
これについては、別の友人(法律家ではない)もこのように言っていました。
三権分立は三権平等ではないんだよね


じゃあ、もし違憲な法律が世に出てしまったら、どうしようもないのかと言えば、そうではなく具体的な訴訟が発生すれば、それに伴った憲法判断があり得るということ。
違憲の法律というのは多くが国民の基本的人権を侵害しており、法律が施行された直後から具体的な侵害の事例が生じるので、訴訟に持ち込まれるまでも早いのです。

たとえば、裁判員制度が違憲と考える人たちは、制度が始まるとすぐに、裁判員に選ばれた人と連携して、国家賠償訴訟を提起しました。もっとも、割と早くに最高裁まで上がって、合憲判決がでましたが。 
たぶん表現の自由を規制するような法律は「具体的に権利が侵害された人」を発見しやすいので最高裁の事後的な判断を得るのは容易
というのような形で、違憲が懸念される法律については、早い段階でチェック機能がはたらくようです。

しかし、今回の(通称)安保法制は、必ずしもそういうわけにはいかなさそう、というのが共通した意見。 なぜならば、「具体的に権利が侵害された人」が、すぐには出てこない、ということ。
集団的自衛権を認める法律は「具体的に権利が侵害された人」(アメリカを守りに行くのはヤダといってクビになった自衛隊とか?)がなかなか現れないだろうから、事後的に最高裁によって判断される可能性は低
今次の安保法制に関しては、この点はむずかしいですね。集団的自衛権が発動されて、自衛隊員が海外派遣命令を受けるまで、具体的争訟は発生しない
更に、もし仮に訴訟になったとしても、高度に政治的な問題のため、判断を控えるという可能性も。
最高裁は、高度に政治的な問題に対しては、司法判断になじまない、ないし統治行為に属するものだから、最終的には国会を通した国民の意思に委ねるべきだ、という立場


じゃあ、法律ができてしまったら、もう全く覆せないかといえばそうではないらしい。 どんな方法かといえば、結局は国会で。 つまり、もし政権交代などが起これば・・・

とはいえ、法律ができてしまい、それに則してものごとが動き出してしまってからでは、どんどん変えにくくなるのは間違いなく。

では。