たぶん、小学校高学年くらいの頃だと思います。
ニュースを見ながら、どうしてプロ野球選手はこんなにたくさんお金がもらえるのだろう、と考えていました。 当時の僕の結論は、
その人にしかできない(度合いが大きい)ことだから、その分たくさんお金がもらえる。
というものでした。 言い換えれば、その人がどれだけ必要とされているか。
それと、そんなたくさんのお金がもらえるのは、プロになれるごく一部の人で、プロになれる一流(あるいは超一流)の人と、あと一歩の人の間には、実力差以上に大きな隔たりがある、ということも考えてました。 正捕手はチームにひとりいればよく、その正捕手になれる人はたくさんお金がもらえて、二番手はそうでない。
まだ「需要」とか「供給」という言葉を習う前のことで、たぶんこの考えは僕の中で、仕事と報酬についての考え方の基本になっていると思います。
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さて、最近こんな記事を読みました。
『「婚活」時代』著者の白河桃子さんと、『「育休世代」のジレンマ』著者の中野円佳さんとの対談。
そういう意味での「やりがい」と仕事、あるいは家庭や子育てとの関係について、僕は下記2つの記事に結構共感を持っています。 ひとつめは、病児保育のNPO法人フローレンス代表・駒崎弘樹さんの記事。
『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』の著者、大宮冬洋さんの記事。
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言っていることは真逆のように見えますが、要は、代替性の低さ、どれだけ必要とされているか、という意味での「やりがい」を求めるならば、働きやすさや家庭との両立は難しいです、と。 ちなみに、駒崎さんは経営者だし、大宮さんはフリーライターで、ともに被雇用者ではないので、雇用者を前提にしている冒頭の対談の人たちには当たらない。
僕がいうような意味での「やりがい」=代替性の低さ、を求めるならば、短絡的には、小さい組織で働けば達成はしやすい。 大企業に属しながら、代替性の低さを求めるのは、それは難しいよね。
そういう意味で、僕はまだ子どもいないけど、やっぱり子育てって、ものすごく「やりがい」があることだと想像しています。 だって、その子どもからして、パパ(あるいはママ)は、自分しかいないわけで、代替性は限りなく低い。 まさにやりがいの塊。 子どもができて変わった、とか、「子どものためなら」と、仕事(お金を稼ぐという意味で)をがんばれる親の気持ちが、前より少しくらいわかるようになった気がします。
なんか引用ばかりで、とりとめなくなってしまったのでこの辺で。
では!
画像引用 - 【プロ野球】中日11-6広島 中日が4連勝、粘れなかった広島は単独最下位 - 産経ニュース
http://www.sankei.com/sports/news/150520/spo1505200041-n1.html
ニュースを見ながら、どうしてプロ野球選手はこんなにたくさんお金がもらえるのだろう、と考えていました。 当時の僕の結論は、
その人にしかできない(度合いが大きい)ことだから、その分たくさんお金がもらえる。
というものでした。 言い換えれば、その人がどれだけ必要とされているか。
それと、そんなたくさんのお金がもらえるのは、プロになれるごく一部の人で、プロになれる一流(あるいは超一流)の人と、あと一歩の人の間には、実力差以上に大きな隔たりがある、ということも考えてました。 正捕手はチームにひとりいればよく、その正捕手になれる人はたくさんお金がもらえて、二番手はそうでない。
まだ「需要」とか「供給」という言葉を習う前のことで、たぶんこの考えは僕の中で、仕事と報酬についての考え方の基本になっていると思います。
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さて、最近こんな記事を読みました。
『「婚活」時代』著者の白河桃子さんと、『「育休世代」のジレンマ』著者の中野円佳さんとの対談。
「産む」×「働く」 - 仕事に「やりがい」は必要か?【白河】この本に「やりがい」という言葉がたくさん出てくるのですが、私から見ると「女性もお金のために働く」ことが当たり前と思っていないように見えます。(略)【中野】(略)「13歳のハローワーク」前後から、仕事はお金のためというよりは自己実現のためという風潮ですよね。就活のマッチョカルチャーの中でも、「初任給や福利厚生で会社を選ぶのはカッコ悪い」という考え方があったと思うんですよね。少なくともそれを志望動機にしたら間違いなく内定は出ないわけで。自己分析やら何やらをして、「好きなことを仕事に」するのが美徳になっています。
何が「やりがい」かを決めずに話しているので、多少議論が噛み合っていない感がありますが、僕は「やりがい」とは、「自分がどれだけ必要とされているか」と考えています。 代替性の低さ、その仕事は自分でないとできない仕事なのか。 僕は新卒で入った会社が、社長ひとり社員僕ひとりな職場だったので、それはそれは「やりがい」のある職場でした。
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そういう意味での「やりがい」と仕事、あるいは家庭や子育てとの関係について、僕は下記2つの記事に結構共感を持っています。 ひとつめは、病児保育のNPO法人フローレンス代表・駒崎弘樹さんの記事。
もうひとつはこちら。「あなたにしかできない仕事」はないNPO法人フローレンス代表理事 駒崎弘樹(4)■仕事をブラックボックス化するな 1仕事2人原則に(略)1つの仕事に対して主担当と副担当を決めて、必ず2人で担当するようにしたんです。すべての仕事を兼務にした。そうするとトータルの人数は増えないけれど、仮にAさんが休んでも代わりにBさんができる、というように休みやすくなります。加えて、仕事を共有しなきゃいけないから無駄なことをやっていると相手からツッコミが入る。「オレ流」で非合理的なやり方は通らなくなるし、結果的に書面で伝える場面が増え、マニュアル化が進みました。■管理職の仕事は「自分がいなくても回るチームを作ること」一番苦労したのは、管理職のマインドを変えることでした。忙しい自分が好きで、忙しさ=自分の「かけがえのなさ」であると信じてしまう――。管理職に多い傾向です。責任感が強い人ほどそうなりがちですが、その人が機能しなくなったら止まっちゃうので、組織にとっては迷惑な話です。彼らは「自分がいないと機能しなくなる」と存在価値を誇示し始めた。僕は「君たちがやらなければいけないことは、君たちがいなくなっても回るチームを作ること。『俺がいなきゃだめ』は禁句ね」と伝えました。これでモチベーションやプライドを保てるのか。危惧する方もいるでしょう。でも、仕事に過度な「自分」はいらない。「自分の職場でのポジション=自分の存在価値」と考えるのは間違っている。「あなたは個人としてはかけがえのない人だけど、職場としては代替可能な人間です。それは僕も同じです。誰かが誰かの代わりになる。そんな組織にならなければこの組織はよくならないし、僕が求めるのはそういう管理職です」と100万回くらい言いました。
- 日本経済新聞|http://s.nikkei.com/18w7jQK
『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』の著者、大宮冬洋さんの記事。
ちなみにこの原稿、リンク先には書いてありますが、元は、冒頭の白河さん&中野さん対談のサイト用の原稿だったのが、「「女性活用」を推進する時流に反している」という判断で、掲載不可になったものということ。「5時以降は仕事できない」人は男女を問わず総合職正社員にふさわしくないと思う件(大宮冬洋)男女を問わず「5時以降は家庭に戻る。仕事はできない」という人は、管理職などの責任のある立場で働くことはあきらめたほうがいいと思います。(略)総合職の正社員を中心とする仕事のリーダーというのは、基本的には24時間体制で責任を負わねばならないと僕は思います。(略)しかし、大小のトラブルがあったときはどうでしょうか。「夜の緊急会議」「徹夜で対応」「休日出勤」などは当然となるでしょう。「家事があるので帰ります」とは言えません。他に責任を負ってくれる人などはいないと自覚して行動する人こそがリーダーであるからです。ここで矛盾と葛藤が生じます。仕事におけるリーダーは家庭でも「大黒柱」であることが多いからです。「子どもが非行に走りそうで大変なのにお父さんが忙しすぎて家にいない」「老親が倒れて入院。でも、お母さんは明日から海外出張」みたいな状況ですね。エネルギッシュで責任感が強い人はどこでも頼られてしまうので大変です。共働きの夫婦(我が家もそうです)が当たり前になっている世の中ですが、二人とも責任ある立場で働いている場合は注意が必要だと思います。共に職場で「無責任な管理職」になっていたり、共に家庭をないがしろにしているケースもあるからです。(略)33歳ぐらいまでは「強いリーダー」になることを夢見ていた僕ですが、現在は仕事でも家庭でも完全にフォロアーです。仕事では朗らかで責任感の強い編集者だけを選んで組んでいますし、私生活では頼りがいのある妻と再婚して「片付けと荷物持ち係」に徹しています。男として情けなくないかといえばウソになりますが、心身はとても楽になりました。
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言っていることは真逆のように見えますが、要は、代替性の低さ、どれだけ必要とされているか、という意味での「やりがい」を求めるならば、働きやすさや家庭との両立は難しいです、と。 ちなみに、駒崎さんは経営者だし、大宮さんはフリーライターで、ともに被雇用者ではないので、雇用者を前提にしている冒頭の対談の人たちには当たらない。
僕がいうような意味での「やりがい」=代替性の低さ、を求めるならば、短絡的には、小さい組織で働けば達成はしやすい。 大企業に属しながら、代替性の低さを求めるのは、それは難しいよね。
そういう意味で、僕はまだ子どもいないけど、やっぱり子育てって、ものすごく「やりがい」があることだと想像しています。 だって、その子どもからして、パパ(あるいはママ)は、自分しかいないわけで、代替性は限りなく低い。 まさにやりがいの塊。 子どもができて変わった、とか、「子どものためなら」と、仕事(お金を稼ぐという意味で)をがんばれる親の気持ちが、前より少しくらいわかるようになった気がします。
なんか引用ばかりで、とりとめなくなってしまったのでこの辺で。
では!
画像引用 - 【プロ野球】中日11-6広島 中日が4連勝、粘れなかった広島は単独最下位 - 産経ニュース
http://www.sankei.com/sports/news/150520/spo1505200041-n1.html