夫婦別姓について、初の憲法判断が下るということで、にわかに注目されています。
夫婦別姓をめぐる訴訟は、東京都内の事実婚の夫婦ら5人が「結婚すればどちらかの姓を名乗ることを強制され、精神的苦痛を受けた。規定は男女平等の権利を保障した憲法に反する」などとして国に計600万円の慰謝料を求めた。13年5月の一審・東京地裁は「別姓の権利を憲法が保障しているとは言えない」として請求を棄却。14年3月の二審・東京高裁も「違憲とは言えない」と判断した。(略)東京都のフリーライター加山恵美さん(43)は18日午後、東京都内で会見した。夫婦別姓を認めないのは違憲だと、2011年に国を訴えた原告の1人だ。00年に会社員の夫と結婚。ふだんは旧姓を名乗ったが、格下げされたような気分になった。書類にどちらの姓を書くのか迷うのも嫌になり、04年に法的には離婚。事実婚の夫婦として暮らす。「これまで何度も制度が変わることを期待したが、ダメだった。結果を待ちたい」と話した。会見に同席した榊原富士子弁護団長も「司法が憲法判断を避ける可能性もあった。まずは一歩。とてもうれしい。国を動かすよう、きちっと憲法違反と書いて欲しい」と語った。最高裁に期待しているのは女性ばかりではない。元神奈川県立高校教諭の宮脇隆志さん(63)は「ようやくここまで来たのか、という思いです」。90年に妻の姓で婚姻届を出したが、高校では旧姓の「宮脇」を使い続けた。当時は人事異動の際に新聞掲載される自分の名前は、あくまでも戸籍名で、それが苦痛だった。「私だということが、生徒にも保護者にもわからない。所在不明のようだった」。退職後に県を相手取って提訴。県教委が旧姓使用を認める範囲を広げたため、和解した。- 夫婦別姓と再婚禁止期間の是非 最高裁、初の憲法判断へ http://huff.to/17VRg6A @HuffPostJapanさんから
もし違憲という判断になれば、法律が変更され、婚姻時に同姓か別姓か選べるようになる見通しが強いようです。
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本件について、僕自身はあまり強いこだわりがないため、「強くそう望む人がいるなら、選択できるようにするのがいいんじゃない」と思っていました。
実際、僕自身、ご夫婦とも仲良くしてもらっている友人、山田太郎・花子(仮名)夫妻が最近できたのですが、個別にお会いしているときは、それぞれ「山田さん」、いっしょにお会いするときは、「太郎さん」「花子さん」と使い分け、また、ちょっと年上なこともあって、ファーストネームで呼ぶのも、多少のためらいがありまして。
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本件について、僕自身はあまり強いこだわりがないため、「強くそう望む人がいるなら、選択できるようにするのがいいんじゃない」と思っていました。
実際、僕自身、ご夫婦とも仲良くしてもらっている友人、山田太郎・花子(仮名)夫妻が最近できたのですが、個別にお会いしているときは、それぞれ「山田さん」、いっしょにお会いするときは、「太郎さん」「花子さん」と使い分け、また、ちょっと年上なこともあって、ファーストネームで呼ぶのも、多少のためらいがありまして。
一方で、同様にご夫婦とも仲良くさせてもらっている、鈴木一郎・うめ子(仮名)夫妻については、鈴木うめ子さんが、佐藤まつ子(仮名)というペンネームで活動をされているため、常に「鈴木さん」「佐藤さん」とお呼びしており、実生活において、別姓の便利さも痛感しております。
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とは言え、じゃあ実際に選択的夫婦別姓が導入されたらどうなるか、ちょっと想像してみました。 間違いなく言えるのは、夫婦別姓の人がいたら、「あー、夫婦別姓なんだなー」と思うということです。
現在、日本で夫婦同姓が、法律上100%マジョリティー。 つまり、夫婦別姓を選ぶ人は、間違いなくマイノリティになります。 だからきっと、夫婦別姓を選んだカップルは、「夫婦別姓を選んだ人たち」と見られるということです。 例えば、
- 夫婦同姓の人 ⇒ 保守的、これまでの社会に合わせている。
- 夫婦別姓の人 ⇒ ちょっと変わった選択をした人たち。 ちょっと構えちゃうかも。
だから、名前ほど公なものには、自分の価値観を載せない方がいいんじゃないかと。 今だって、キラキラネームの方が、「キラキラネームをつけるような親の子」って見られ方をして、悩んでいたりするのに。
夫婦別姓にしたら、望まない相手から、望まない見方をされる可能性がより高まるわけだし、今以上に必要ない摩擦が増える世の中になる気がするんです。
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きっと一番は、夫婦別姓か同姓かを選択できるようにするより、姓を変えた方が、どちらの姓を使うかTPOによって、自分の意思で使い分けられる方が、より平和的でないかな、と思うのです。 戸籍レベルで夫婦別姓にしなくても、本籍地と住所みたいに切り分け、使い分けできれば。
だったらいっそ、全員夫婦別姓、というのも考えてみたけど、振り返って、そもそも姓が社会でどういう記号として意味を持っているかというと、「この人とこの人は夫婦です、親子です、家族です、親戚です」というのが、最も大きい。 選択制にしても、全員にしても、社会的にそれが機能しなくなるなら、いっそ名字をなくした方がすっきりするんじゃないの。
先日、10年以上前から知っている人の名前を、10年経って初めて知る、という経験をしました。
その人とは、当時mixiで知り合い、直接お会いするときも、ずっとmixiネームで会話していたので、これまで本名を知る必要が全くなく。 本名を知るきっかけとなったのも、僕が聞いたからでなく、突然フェイスブックに申請が来て。 「誰、この人?」と最初思った人が、写真やプロフィール見て、「あー、〇〇さん!〇〇さんて、こんな名前だったんだ!」 と。
こういうことって、SNS以降、前からよくあったのですが、この経験をする度に、「名前って本当に記号だよなー」、と。
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一方、本当に名字なしの名前だけになったら、きっと昔みたいに、自分で勝手に所属を付けるようになるんでしょうね。 「我こそは、〇〇国の△△兵衛、いざ勝負!」みたいな。 今だって、聞いてないのに、「〇〇社の□□△△です。」 っていう人いっぱいいるし。
ちなみに僕は、結構頻繁に 「豊橋の長坂です」 と使っています。
では!