今更ですが、今年もよろしくお願いします。

今年は「あけまして、おめでとうございます」と言うのを控えています。 特に何があったというわけじゃないですが、こんな世の中なので、お会いする方、誰も彼もがおめでたいかわからないので、不用意な「おめでとう」は、避けようと思いまして。

もちろん、先方から「おめでとうございます」、と言われれば、「おめでとうございます。」とお返ししています。



そんな対応をしながら、新年を過ごしていたら、敬愛する山本一郎先生もこんなことをおっしゃっていました。
山本一郎です。明けましておめでとうございます。一応おめでとうとは言ったけど、明けておめでたくなるかどうかはお前のこの一年の働き次第だからな。(略)

繰り返すが、今年が明けてめでたいかどうかは私たち個人個人の働き如何によって決まるんだからな。頑張って生きて見合った成果が得られて初めてめでたいんだ。それを忘れて思考停止して「あけましておめでとう」とか言うんじゃないぞ。絶対にな。

 - 巷の”ハローワークでブラック企業の「求人お断り」検討”に思う(山本一郎) - Y!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20150106-00042048/
あぁ、おっしゃるとおりだなー。 と思いつつ、ではなぜ、慣用的に「おめでとう」と言われているのだろう、と考え始めました。



年の瀬になると、「今年は年が越せるか」という言葉を耳にします。 確か、小学校の国語の教科書に載っていた、「かさじぞう」のおじいさんとおばあさんもそんな心配をしていたと思います。 無事に、年が越せるかどうかというのは、昔からの心配事だったのでしょう。

とすると、あけましておめでとう、は実は、新年が明けた(始まった)ことがめでたいのでなく、前年が無事に終わったことがめでたいんじゃいのか、そんな仮説にたどり着きました。



この仮説を、最近飲み友達な、同じ年の博識人妻女子にぶつけてみたことろ、

女子 「昔はみんな1月1日に一つ歳をとったからじゃない?」

と、割りともっともらしい答えが返ってきました。


-じゃあ、俺たちも33歳だ!おめでとうー!

女子 「うわっ、いきなり2歳も年取った。全然、めでたくねー!」



今年も豊橋と僕とこのブログをよろしくお願いします。

では!