特にキャリアな東京大OGのみなさんに。 いろんな意味でとっても身近な話。

この事件のことを初めて知ったのは、たぶん、大学の授業で佐野眞一さんが招かれたときに、代表作として紹介されたから、だったと思う。 確か2004年、僕は大学3年。

なぜかこの事件について、僕はリアルタイムで全く記憶がない。 事件は1997年3月に起きた。 当時僕は、中学1年生。 95年1月、小学校5年生の阪神淡路大震災、小6でオウム真理教の強制捜査。 そして中学1年、97年2月に起きた酒鬼薔薇聖斗事件、少年Aが僕のひとつ上だったことは衝撃で、とても鮮明に覚えている。 東電OLの前後の大きな事件はちゃんと記憶があるのに、なぜか東電OL事件だけは記憶にない。 ゴシップだと、スルーしていたのかもしれない。

そして、大学時代に知ったときも、スルーしてしまった。

今、僕の手元にあるこの本は、いつ買ったのかよく覚えていない。 たぶん5年くらい前に買って、放置していた。 本の天地や小口に特有の紙やすりの跡があるので、たぶんブックオフだと思う。 「あ、これがあの佐野眞一さんの本か」 と思い出して手に取った。 少し頁をめくって驚いた。 事件現場が渋谷で、被害者の東電OL自宅最寄り駅は井の頭線の西永福駅。 僕の学生時代の最寄り駅でもある。 そして、事件現場の渋谷は大学のすぐそばで、よく通る行動圏内。 すぐ買った。

そして、ずっと放置していた。

それがLINKRARYに出す本を選んでいるときに出てきた。 「あ、そういえばこの本買ったまま読んでないなキープ」 僕はあまり小説は読まない。 そこでまた半年放置。 そして、園子温さんの映画 『恋の罪』 がこの事件が元にしていると知り、ようやく重い腰を上げ・・・


少し読んで驚いた。 この本は小説でなく、佐野眞一さん自らが、容疑者となったゴビンダさんの無実と、事件の真実と闇に迫るために動いた活動と裁判の記録。  佐野さんは、ゴビンダさんの無実を証明するため、祖国であるネパールまで飛ぶ。 500ページ以上の本だけど、2日間で一気に読んだ。 久々に、本を読んだ、という気分になった。

東電OLこと、渡辺泰子さんは、1997年3月8日深夜に、渋谷円山町にある古アパートの空室となっていた部屋で殺害されました。 円山町といえば、有名な渋谷のラブホ街。 道玄坂を上ったところにあり、学生時代、僕も何十回と通った道。 109、東急百貨店、井の頭線神泉駅、よく知った地名が何度も何度も出て来る。

この事件が注目された大きな理由のひとつは、渡辺泰子さんの二面性。 彼女は、平日昼はOLとして働き、休みは五反田のホテトルで客をとり、夜は円山町で、個人売春をしていた。 僕は、東京生活の後半、五反田にも住んでおり、あまりに知っている場所ばかり出てくるので驚いた。

そして、この渡辺泰子さん。 僕の感覚では、「OL」ではない。 超エリート。 今でいうならキャリア。 事件時に39歳だった渡辺さんは、慶應女子高校から、慶應大学経済学部に進学。 卒業後の1980年に東京電力に入社。 東京電力が女性採用を初めて、3期目。 1986年に男女雇用機会均等法が施行される前。 そして、女性同期9人のうち、唯一彼女だけが管理職に。 残り8名は事件前までに全員退職している。 女性採用3期生なので、もしかしたら、東京電力発の女性管理職だったのかもしれない。 うちの母と、ほぼ同世代。

入社時に渡辺さんが配属されたのは、企画部調査課。 事件時は、経済調査室の副長。 原発事故以降、注目されている東京電力の企画部は、経済産業省対応の部署で、政治家対応の総務部と並んでエリートコース。 蛇足だが、当時の直属上司は、原発事故時の東京電力会長、勝俣恒久さん(当時:取締役企画部長)。

渡辺さんは、大学生のときに、最愛の父を失っている。 父も東京電力の社員で、東京大卒の幹部候補だった。 この本では、それ以外にも、渡辺さんが、「堕ちていく」ステップと、そのときに彼女のプライベートやキャリアで起きた変化を重ねている。 最も衝撃を受けた記述は下記。 著者の佐野眞一さんは、精神科医の斎藤学先生を訪ねる。 斎藤先生は言う。
 「私はこの事件の報道に最初に接した時、『これは自己処罰だな』と感じましたが、佐野さんが細かく調査した彼女の履歴を今こうして聞くと、ますますその感を深くしますね。彼女は死んだ父親を過剰なまでに理想化するあまり、『父親に比べて見下げ果てた自分』『汚い自分』を処罰したいという衝動から行動していった。その結果、心と体が分離され、心が体に『見下げ果てた自分』『汚い自分』になることを命じていってしまったと思うんです」 
「精神的な意味でいえば近親姦はあったと思います」
僕が学生時代に住んでいたアパートから、ほんの100mほどの距離の家庭の話。


事件3年後の2000年4月、ゴビンダさんへの無罪判決が出ます。 本書はここで終わり、めでたしめでたしの様相。

しかし、その年の12月、上告審で無期懲役の逆転有罪判決。 更に3年後の2003年10月に、最高裁で無期懲役が確定。 続編はこちら。

そこから9年。 2012年6月に、東京高裁で、再審開始が認められます。 これは2005年から続く、無罪を信じる人たちからの、再審請求が7年越しで認められたということ。

そして、2012年11月、東京高裁で再審の無罪判決。 これは今から2年前のニュースで、見た人も覚えているはず。 検察側は上告せず、無罪が確定。 長い長い、あまりに長い闘いが、ようやく幕を閉じたのです。たぶん。

では。