かすみてい

 霞堤は,河川における洪水の被害を最小限におさえるため,堤防の一部にわざと切れ目(差し口)をつくっておき,河川が増水した時にそこから水を導き,請堤(控堤・二重堤)との間の遊水地(主として農地)に一時的に河水をプールさせて(差し水)下流部の洪水を防ぐための築堤法でつくられた堤をいう。また,鎧堤(よろいてい)ともいう。全国的には,山梨県釜無川(富士川の支流,信玄堤という)・静岡県安倍川・富山県常願寺川・石川県手取川などの下流にみられる。

 いずれの霞堤も,戦国時代から長い年月をかけて築堤されたものと推定されており,豊川下流部の霞堤は,右岸に東上(宝飯郡一宮町)・二葉・三上・当古(豊川市)・大村(豊橋市)の5か所ある。左岸には江島(宝飯郡一宮町)・賀茂・下条・牛川(豊橋市)の4か所あり,合計9か所の霞堤があった。このうち,特に大村には請堤の宮井戸に乗越堤があり,豊川の水が七合に達すると乗越堤から水が溢れ出て,直接下流の江川から三河湾に排出させることによって吉田(豊橋)城から下流の堤防や吉田大橋を守るようになっていた。

 一方,遊水地となった農地は冠水を免れない。しかし,それによって有機質の土壌が供給されるという利点もあり,畑地は,ことに根菜類の生育に適するという有利な面もあった。昭和40(1965)年に,豊川市行明町から豊橋市前芝町まで延長6.6㎞の豊川放水路が完成し,大村の霞堤をはじめ,右岸の霞堤は締め切られ,左岸の霞堤も順次締め切られており,豊川下流域の洪水常襲地域の人々は,洪水の被害から免れるようになってきている。

 参考文献 - 藤田佳久「生きている霞堤」

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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