ようこうじ

 天徳山陽光寺(臨済宗妙心寺派)の創立は,天平11(739)年で,開山は行基菩薩であると伝えられている。往古は真言宗であったが,その後の沿革についてははっきりしていない。戦国時代に乾林虎和尚が陽光寺を再興し臨済宗に改宗し,東観音寺の末寺にしたと伝えられている。

 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,西植田村「天徳山陽光院,小松原東観音寺末寺,平僧,客殿五間半・三間,観音堂右陽光院支配,堂主休心」とある。本尊は地蔵菩薩像である。江戸時代は平僧地であったが,大正3(1914)年法地に転格した。ついで昭和17(1942)年妙心寺の直末となり,同時に寺号陽光院を陽光寺に改めた。庫裏(くり)の老朽化のため,平成6(1994)年本堂および庫裏を改修した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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