りくぐんぼち

 陸軍歩兵第18聯隊が豊橋に設置されると同時に,その付帯設備として練兵場・射的場・陸軍墓地が建設された。陸軍墓地は,渥美郡東田村前山(豊橋市東田町西前山)の臨済寺山といわれる旧藩時代の刑場跡2000坪を埋葬地とした。墓地開設以来の記録は臨済寺に保存されていたが,昭和20(1945)年6月の空襲によって寺もろとも焼失してしまった。

 最も古い墓碑は明治10(1877)年の西南戦争戦病没者の墓碑であるが,当初豊橋市中八町の軍人記念碑横に設けられていたものの移設である。明治27(1894)年から同28(95)年の日清戦争の戦病没者の合同墓碑,明治37(1904)年から翌38(05)年の日露戦争戦病没者の合同墓碑,第1~2次北満派遣の戦病没者の墓碑,日華事変・第2次世界大戦時の戦病没者の墓碑および個人墓が多数ある。

 関連項目 - 秋山助六郎 捕虜収容所

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!