しゅぞう

 酒造業は,味噌・醤油などと並んで明治期から,豊橋の代表的な食料品工業であった。明治34(1901)年に,永井仙十が中心となって,宝飯・渥美・南設楽(したら)3郡の酒造業者25人を集めて,東三酒造組合を設立した。東三酒造組合は,当初事務所を宝飯郡下地町(豊橋市下地町)においていた。その後,大正3(1914)年には,豊橋市松葉町へと移した。日中戦争が勃発する昭和12(1937)年以降になると,産業・金融など,国民生活のすみずみまで経済統制が強化されていった。そして,昭和16(1941)年になると,清酒は配給の対象となり,応召入隊・帰還や冠婚用にのみ1升に限り販売され,それ以外は販売禁止となった。

 豊橋の酒造業者は,最盛期には8業者あり,清酒や焼酎,リキュール,スピリッツなどを製造していた。その後,大資本業者との競争で淘汰され,平成17(2005)年には,福井酒造(豊橋市中浜町)と伊勢屋商店(豊橋市花田町斎藤)の2社のみとなった。大資本の酒造業者が,大量仕込みをするのに対し,福井酒造では,小仕込みで対応し,10月~3月の3シーズン制で特異性を出している。酒造の原料米は,山間地(作手(つくで)村・稲武町)から寿司米や酒米を契約栽培で取り入れ,麹は専門業者から取り入れている。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
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