みちしるべいなり

 明和(1764~1772)のころ,吉田(豊橋)藩主松平伊豆守が二川(豊橋市二川町)の山中で濃霧にまかれ,道に迷ってしまった。途方にくれた伊豆守が神に念じると,忽然と一方の霧が晴れ,前方に稲荷社が現れた。その方角に歩いていくと無事,街道に出ることができた。その稲荷社が道知辺稲荷と知った松平伊豆守は,神に感謝し50石を寄進して篤く信仰したと伝えられている。その後も,稲荷社は祈願成就の神として,吉田藩歴代の城主をはじめ,近郷の人々の信仰を集め,にぎわったといわれている。社は,昭和3(1928)年に桜ヶ丘公園(豊橋市東田(あずまだ)町北蓮田)の一角に移された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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