とよほぎいなりしゃ

 豊寿稲荷社は,八名郡牛川村(豊橋市牛川町洗島)に嘉永4(1851)年3月,吉田(豊橋)領民たちが領主の武運長久と五穀豊穣を願って,江戸深川の松平(大河内)邸の深川稲荷を勧請したものである。羽田野敬雄の「万歳書留控」(「幕末三河国神主記録」)に,嘉永5(1852)年3月の祭礼に当たって「ちなみにいふ,牛川村へ江戸当領深川屋敷之稲荷社を勧請に付,両部めかしき議をいふ人も有けるを,こも両家老の英断にて唯一に相成,神主も司氏に命ぜられ,凡て仏意を清く払はれ,……また社号を豊寿稲荷と号奉るなど,みな両家老之英断にて,おのれ内々議(はか)られたるにて,いとめでたし」とある。両部めかしくとは,神仏混合の意であり,両家老とは和田肇・倉垣主鈴のことである。慶応2(1866)年からは羽田村庄屋本多半右衛門為昞(ためあきら)が牛川村に移って神官を務めた。しかし,明治維新後は氏子がいないため,明治41(1908)年牛川中郷の熊野社に合祀され,大正4(1915)年豊寿稲荷社の鳥居・社殿などは熊野社に移築された。豊寿稲荷社の境内981坪は愛知県豊橋第二中学校の校地に当てられた。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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