さいごう・きよかず(?~1594)

 西郷清員は,西郷正勝の子として生まれた。西郷氏は,肥前高来(たかき)郡西郷(長崎県南高来郡瑞穂町西郷)が発祥の地である。足利尊氏の将仁木義永が三河の守護であったときの守護代であったと伝えられる。

 大永3(1523)年祖父の西郷正員(まさかず)は,月ヶ谷(わちがや)城(豊橋市嵩山(すせ)町)を築き,今川氏親に属した。永禄3(1560)年桶狭間で今川義元が敗死した後,父・正勝と兄・元正は,同3(60)年築城した五本松城において,今川の将朝比奈泰長に襲われて討ち死にした。西郷清員は,永禄5(1562)年西川城(豊橋市西川町)を築いて本拠とした。文禄3(1594)年12月11日,没した。

 なお,西郷清員の姪西郷の局は,徳川家康の側室として徳川秀忠,松平忠吉を生んだが,天正17(1589)年,駿河で没した。西郷清員の子,西郷家員(いえかず)は,天正6(1578)年遠江(とおとうみ)牧野原(静岡県榛原郡金谷町)に移るが,徳川家康の関東移封に従い,下総(千葉市中央区)に5000石の所領を与えられた。西郷家員の子,西郷忠員(ただかず)は,元和6(1620)年,安房東条(千葉県鴨川市)に封ぜられ1万石の大名となった。後,元禄5(1692)年下野上田(栃木県下都賀郡壬生町)に転封される。さらに,元禄8(1695)年5000石を減封され,近江に所領を与えられ,旗本となり,明治維新を迎えた。

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!