ほそうどうろ

 第2次世界大戦終了時の豊橋では,旧東海道の上伝馬・本町・札木・曲尺手(かねんて)・鍛冶町・下町・新町から瓦町までは幅員は3間(5.5m)のアスファルト舗装であった。昭和11(1936)年までに愛知県の道路改良工事が行われたのは,国道1号の二川東町~境川間と,愛知県道豊橋~三谷線の大塚~三谷間である。ここではコンクリートの本格的な舗装が行われた。昭和34(1959)年吉田大橋が架橋され,豊橋市八町通が国道1号となった。昭和37(1962)年東は瓦町,西は豊川市国府(こう)町までのバイパスが完成し,コンクリートの厚さ25㎝の舗装道路が完成した。しかしそれも,数年後には陥没するような交通量に対処するために,八町通は,品質の向上したアスファルト舗装に切り替えられた。

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
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