りんざいじ

 万年山臨済寺(臨済宗東福寺派)の創立は,寛文4(1664)年で,正保2(1645)年吉田(豊橋)城主小笠原忠知が豊後国杵築(大分県杵築市)より移封の際,菩提寺宗玄寺を吉田に移した。小笠原忠知が没した時,小笠原長矩は宗玄寺を仁連木村(豊橋市東田町)に移し,寺号を臨済寺と改め,寺領百石を寄進した。

 京都五山東福寺240世虎白大宣禅師を勧請し創建された。開山は日東大暘禅師である。禅師ははじめ勢州の竜光寺虎白和尚に学び,後,江戸竜光寺に住んで道誉の高かった時,小笠原長知が迎えて杵築の宗玄寺の開山としたもので,その法系上東福寺末となった。本尊は釈迦如来坐像である。

 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,仁連木村「万年山臨済寺,客殿,境内百四十三間・八十間,小笠原侯御代々御菩提所」とあり,小笠原家より寺禄100石を寄進されている。「三河国二葉松」(元文5年)には「二連木村,小笠原山脇寄附田,正保四丁亥年建立,禅宗臨済派,本寺京都東福寺,山城守代々廟,万年山臨済寺」とある。

 小笠原忠知は,山田宗へんを京都より招き,侘(わび)の茶道を奨励し,宗へんは臨済寺で三ツ窓の席(栽松軒,現在のものは後世に移築)を設け,茶の湯の道をこの地に広めた。また臨済寺の裏庭は宗へんの作庭があり,宗へん流発祥の地と称される。昭和20(1945)年6月の空襲では,山門,稲荷堂,弘法堂のほかは全て焼失した。

 昭和21(1946)年恵日(えにち)保育園を開設,同31(56)年恵日幼稚園に改組する。平成14(2002)年1月,小笠原墓所の改修着手,同16(04)年3月一連の行事が完了した。小笠原家の奉納した「臨済寺の経文」8点が昭和39(1964)年豊橋市有形文化財に指定された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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