そうだい

 江戸時代の村々は,村名・村高・鎮守・庄屋があり,吉田24町にも庄屋が置かれ,行政機関であり,自治組織でもあった。明治39(1906)年の市制施行によって,大字代表を総代とした。「豊橋市史」第3巻に,明治41(1908)年の第15師団歓迎会経費割賦表では,54町(41大字であるが,花田町に15総代区域があった)が載っている。大正期から昭和初年にかけていくつかの総代区域が分立しているが,一方では耕地整理・区画整理などによって町名の変更後も旧区域によっている町内もある。

 昭和16(1941)年,政府は大政翼賛会の末端機関として,町内会・部落会を結成させた。総代は町内会長となり,町内あたりの戸数は100~300とした。町内会長の主な仕事は,配給物資の割り当て,応召兵の見送り,町民の移動証明,防空演習,公債の割り当て,金属供出,軍役奉仕の世話などであった。

 昭和22(1947)年戦時体制が一掃され,町内ごとに嘱託を置いたが,翌23(48)年,連絡員制度とした。昭和28(1953)年,連絡員制度を廃止して総代会制度とした。昭和28(1953)年,25校区・255町,平成17(2005)年4月1日現在,51校区・444町となった。

 参考文献 - 豊橋市総代会創立30周年記念誌発行委員会「創立30周年記念誌」

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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