こめそうどう

 米騒動は,米価騰貴を契機に発生した民衆の暴動である。明治以降大規模な米騒動は3回起こっているが,全国的な規模で展開したのは,大正7(1918)年7月から9月にかけての騒動であった。第1次世界大戦中の好景気は,インフレと物価高をもたらし,米価は第1次世界大戦前の4倍にも跳ね上がった。大正7(1918)年7月23日,富山県魚津町の漁民の妻女が県外移出米の積み出し阻止をはじめたことに端を発した。米騒動は,たちまち全国に波及し,368か所で発生,うち120か所では軍隊が出動して鎮圧した。

 大正7(1918)年8月10日,名古屋で米騒動が勃発した。豊橋の米騒動は,大正7(1918)年8月12,13日の2晩続けて起こった。暴徒化した群集は市中の米穀商を次々に襲い,安く売るよう強要,さらには乱暴狼藉(ろうぜき)を働き,制止する警察官とも対立して警察署を襲うまでになった。この時,豊橋市長および豊橋警察署長の要請で歩兵第18聯隊の憲兵隊が出動した。

 豊橋市当局は,対応策として義捐金(ぎえんきん)募集と白米の廉売(れんばい)を実施することとした。義捐金は事態の深刻さもあって15日までの2日間で5万円が集まった。白米の廉売は,とりあえず1升24銭の米券を各戸宛(あて)配布した。市当局の努力もあって,豊橋の米騒動は沈静化の方向にむかった。

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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