よねやまでんせつ

 むかし,源氏の兵が岩崎(豊橋市岩崎町)の砦(とりで)に立てこもって戦いをしていた時,周囲を敵に囲まれてしまった。川がせき止められ,飲み水や馬に飲ませる水もなくなってしまった。そこで源氏の大将は,多米(ため)村(豊橋市多米町)の徳合長者を訪ね,「米を2,3俵分けてもらいたい」と申し入れた。たくさんの米を持ち帰ると,夜の明けるのを待ち,何頭もの馬を広場に連れ出すと,桶に入れた米を馬の背中にザーザーとかけた。朝日に照らされ輝く米は,豊富な水で馬の背を洗っているように見え,敵は驚き,水断ちの攻めをやめてしまった。兵士たちは大将の機転により,危ういところを助かった。それからというもの,この砦の山を「米山」というようになったという。

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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