つみいしづかこふん

 積石塚古墳は,土ではなく石を主に使用して墳丘を築いた古墳である。中国東北部および朝鮮半島に存在することから,日本国内にあるものは渡来系氏族の墓制とする説が有力である。東三河地域では豊橋市北部の吉祥山塊を中心に積石塚古墳が分布しており,国内では長野県大室(おおむろ)古墳群や福岡県見島(みしま)積石塚などとならび,数少ない積石塚古墳集中地域のひとつである。

 東三河地域では豊川(とよがわ)右岸にある宝飯郡一宮町城山(じょうやま)古墳群のように5世紀後葉の例が最古の一群である。豊川左岸にあたる吉祥山塊では愛知県指定史跡の一宮町・新城市の旗頭(はたがしら)山尾根古墳群や豊橋市石巻平野町・石巻西川町の吉祥古墳群などが知られるが,5世紀までさかのぼる例は現状では知られていない。6世紀中葉の豊橋市石巻平野町の上寒之谷(かみかんのや)1号墳はすでに墳丘に土を多く混ぜていた。東三河地域の積石塚古墳からは渡来系遺物はまったく出土していないが,その被葬者を古代三河の主要産業である養蚕にかかわる渡来系技術者集団ではないかとする説がある。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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