まきの・なりはる(1682~1707)

 牧野成春は,天和2(1682)年10月23日,下総関宿(千葉県関宿町)城主牧野成貞の正室の妹が,大戸吉房に嫁して生んだ子といわれる。元禄6(1693)年,牧野成貞の養子となり,同8(95)年襲封し,宝永2(1705)年,吉田(豊橋)8万石に転封した。しかし,在城することなく,宝永4(1707)年3月26日,26歳で没した。

 牧野成央(なりなか)は,元禄12(1699)年,牧野成春の子として生まれた。宝永4(1707)年,父の遺領を継いだ。しかし,祖父・牧野成貞の後見のもとにあったと思われる。正徳2(1712)年に,日向延岡(宮崎県延岡市)へ転封を命ぜられた。牧野家が吉田を領したのは,2代・7年に満たないが,宝永地震には牧野家は直ちに被害を調査し,吉田町中に1000両,本陣・旅籠へ1000両を無利息・10年月賦で貸し与え,下水道の改修を行った。また,藩では補助金を貸与して,3艘(そう)の船を建造させた。吉田大橋の修理に着手し,渡船が廃止され,大橋による通行に復したなど,注目すべき治績がある。日向延岡に移った後,延享4(1747)年,常陸笠間(茨城県笠間市)に転封し,歴代相続して明治維新を迎えた。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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