まきの・こはく(?~1506)

 牧野氏の祖は,長山(豊川市下長山町)の一色刑部の被官として讃岐国から来住して,牧野(豊川市牧野町)に城を築き,瀬木城(豊川市瀬木町)・一色城(豊川市牛久保町)を拠点とした。

 牧野成時(法名古白)は,永正2(1505)年,今川氏親(1471~1526)の命により,戸田宗光の仁連木城に対峙する今橋城(吉田城)を築いた。しかし,この今橋城は,翌永正3(1506)年11月3日,戸田憲光と松平長親によって攻略された。牧野古白は,自害して果てたといわれる。また,松平側へ寝返った牧野古白を今川氏親が,今橋城を攻撃して討死させたという異説もある。

 今橋落城後,戸田憲光は自らは田原にあって長子・政光に仁連木城を守らせ,次子・宣成を今橋城に配した。牧野古白の遺子・成三(しげかず),信成(のぶしげ)は,牧野氏一族の協力を得て,永正16(1519)年,今橋城を奪回し,戸田宣成を大崎城(豊橋市大崎町)へ追ったという。吉田(豊橋)城主・牧野信成は,大永年間(1521~28)に牧野古白の菩提を弔う吉田山竜拈寺(りゅうねんじ)を建立した。

 牧野康成は,天正18(1590)年,徳川家康の関東移封に従って,上野大胡(群馬県勢多郡大胡町)に2万石で入封し,越後長岡(新潟県長岡市)7万4000石で明治維新を迎え,その支藩,笠間牧野家は,宝永2(1705)年,三河吉田(豊橋)8万石で入封し,その後,転封を重ね,常陸笠間(茨城県笠間市)で明治維新を迎えた。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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