むろおおづかこふん

 牟呂王塚古墳は,柳生川の河口を臨む段丘の南端に立地する。古くからその存在が知られ,明治12(1879)年に村人が主体部を発掘した際に金銅装製品が多数出土し,東京帝室博物館(東京国立博物館)に収蔵された。また昭和63(1988)から平成9(97)年の区画整理事業に伴い,豊橋市教育委員会が発掘調査を行った。

 牟呂王塚古墳は前方後円墳で,全長27.5m,後円部の径18m,前方部の長さは9.5mである。主体部は横穴式石室で,すでに破壊されているが,2mを超える石材を一部使用するなど大型の石室だったと推定される。副葬品として東京国立博物館に金銅装圭頭(こんどうそうけいとう)大刀,同心葉形杏葉(しんようけいぎょうよう),同飾金具,馬鈴,耳環,玉類が収蔵されている。このうち圭頭大刀は造りの全容がわかるもので,心葉形杏葉は唐草文の透彫(すかしぼり)に毛彫(けぼり)を施した優品である。本墳は6世紀末葉から7世紀初頭に築造されたと考えられ,渥美湾沿岸に築かれた最後の首長墳である。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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