むろじょう

 牟呂城は,西ノ郡(蒲郡市)方面で勢力を誇った鵜殿氏の城とされる。「三河国二葉松」(元文5年)に,「牟呂村古屋鋪,鷲津村本光寺棟札,牟呂城主鵜殿兵庫頭,牟呂兵庫頭正茂」とある。また,土塁上に建つ石碑が示すように「鵜殿兵庫之城」ともいう。「三河国古城古屋敷之記」では築城者として東三河十七騎の一人,室金平の名を挙げ,その本名は鵜殿としている。

 城址(じょうし)は牟呂小学校の北約400mの位置にあり,近年の区画整理等により今では土塁の一部を残すのみである。かつては,牟呂小学校付近まで海が入江状に入り込んでいたと思われ,城址一帯は水陸交通の重要拠点であったと考えられる。地籍図,発掘調査などにより,その規模は65m×65m程度の方形館であったとされる。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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