ひうちざか

 火打坂は,二川宿の西側で町並みを抜けた東海道が北に向かって大きくカーブした所(豊橋市大岩町)にある坂で,この火打坂のすぐ西にある岩屋山(標高78.2m)で火打石(チャート)が産出されたことが名称の由来である。ここの火打石は「三河国二葉松」(元文5年)に三河国土産名物として記載されている。明治12(1879)年に東海道は岩屋山の南を通ることになった。さらに,平成8(1996)年7月に豊橋湖西線(愛知県道3号)の火打坂交差点が改良され,二川と岩田・多米(ため)方面との連絡道として多く利用されている。火打坂の途中に,豊橋市地下資源館・豊橋市視聴覚教育センターへ通じる道路の入り口がある。

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!