ようさいがっこう

 第2次世界大戦中・戦後の物不足の中で衣料品の再生・再利用が盛んに行われ,そのための洋裁学校が多数つくられ,昭和23(1948)年には,豊橋とその近辺で文化高等服装学院・小山ドレメなど組合参加の洋裁学校が23校存在した。

 高度経済成長期になると,多種多様の既製服が溢れ自作の衣類を作る人も減少し,生徒も集まらなくなり廃校に追い込まれるものが増えていった。

 関連項目 - ファッション専門学校(豊橋市旭町旭)

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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