らくほうじ

 五願山楽法寺(曹洞宗)は,もと天台宗で,後に臨済寺院となったが,天正元(1573)年竜拈寺(りゅうねんじ)第6世雪雄宗継和尚が曹洞宗に改宗再興し,さらに竜拈寺第13世天岩州呉和尚(?~1645)が再興して山号を玉竜山と称したが,後に五願山と改めた。またかつては近くの牟呂八幡宮の別当寺であった。

 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,牟呂村「禅宗,玉竜山楽法寺,吉田竜拈寺末寺,平僧,客殿六間・四間,寺領弐石目,伊奈備前守様御証文有之」とある。旧幕時代は黒印2石を受けており,「三河国二葉松」(元文5年)に,「牟呂村,黒印二石,禅宗曹洞派,本寺吉田竜拈寺,玉竜山楽法寺」とある。

 明治30(1897)年法地に転格し,竜拈寺第33世瑞嬰民鳳和尚を開山とした。昭和20(1945)年6月の空襲により観音堂・山門を残し,本尊阿弥陀如来像など諸仏像・伽藍(がらん)を失った。昭和45(1970)年に本堂・庫裏(くり)を再建し,平成5(1993)年手狭のため,庫裏を増改築,同15(2003)年さらに増築した。

 本尊は戦火による焼失の後,新たに釈迦如来像を安置し,焼失を免れた観音堂の本尊十一面観音像が安置されている。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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