まつだ・しかぞう(1871~1956)

 松田鹿三は,明治4(1871)年5月20日,尾張藩士松田堅治(1837~1900)の2男として名古屋で生まれた。長男が夭死したため,嗣子として育てられた。名古屋で関治小学校に入学するが,父・松田堅治が渥美郡役所に転勤したため,明治12(1879)年,豊橋の八町小学校に転入し,同21(88)年,渥美郡第一高等小学校を卒業した。明治21(1888)年静岡県尋常中学校に入学,4年で退学したが,同26(93)年,東京美術学校普通科を卒業し,豊橋尋常中学時習館助教諭心得を1年勤めた。ふたたび,東京美術学校鋳金科に入学,明治30(1897)年,卒業した。

 鋳金科研究生として楠公像・西郷隆盛像や豊橋に建設された神武天皇像を制作した。豊橋の神武天皇像を制作したのは,明治32(1899)年(大正5年練兵場に移転)で,小学校で1級上の豊橋町長大口喜六の依頼であったという。設計・制作はすべて松田鹿三であるが,鋳造は東京美術学校に頼んだ。岡崎雪声作といわれているのは,銘を入れずに,岡崎雪声の名で豊橋に納品したためだという。松田鹿三は,明治32(1899)年,山形県立米沢工業学校教諭となり,同37(1904)年,奈良県立御所工業学校に転勤した。明治45(1912)年には,長崎市技師・長崎商品陳列所兼長崎工業伝習所長になる。この後,金沢・京都の商品陳列所長を経て,大正14(1925)年から,名古屋で「銅像及び美術工芸 松田研究所」を開き,銅像を制作する。昭和31(1956)年8月11日,没した。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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