ちこういん

 智光院(曹洞宗)の創立は享保8(1723)年で,寺の屋敷は吉田(豊橋)の本陣山田新右衛門の別荘の地であった。開基智光尼は山田新右衛門の娘で,吉田城主に仕えていた土肥豊隆(茶匠二三)の側室となり,一子を失った後仏門に入り智光尼と称し,庵室を営んで智光庵と号したと伝えられている。本尊は阿弥陀如来坐像である。仏前に土肥豊隆と智光尼の位牌(いはい)が安置され,別に開基竜拈寺(りゅうねんじ)第32世洞流巨川和尚の位牌が同列してあった。智光庵は,元来無本寺であったが,洞流巨川和尚の時に竜拈寺末寺となったものとされ,智光尼以後代々尼僧が住した。

 昭和17(1942)年寺号を智光院と改め,同28(53)年弁才天堂を再建した。平成2(1990)年飯村土地区画整理を契機に,山門・弁才天堂以外の建物を廃却し,翌3(91)年堂宇を再建した。本堂に安置されていた本尊位牌等を移座した。平成4(1992)年5月悟慶院に合併され,現在は悟慶院別院となっている。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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