ふもんじ

 船形山普門寺(高野山真言宗)の開基は,神亀4(727)年,諸国巡錫(じゅんしゃく)中の行基菩薩が霊気を感じ,聖観世音菩薩立像を刻み本尊としたといわれている。平安時代に真言宗となった。

 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に,雲谷村「真言宗,船形山普門寺,高野山平等院末寺,法印,客殿七間・五間,境内東西十四丁・南北八丁,御朱印百石,塔中蓮蔵坊・真如坊」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に,「雲谷村,寺領百石,真言宗古義,文治年間中興化積上人,本寺紀州伊都郡高野山平等院,開基行基,葬化上人ハ頼朝叔父也ト云,亦文覚上人ノ咒(いの)リ水トテ今ニ有,船形山普門寺」とある。

 高倉天皇の嘉応年間(1169~71)天台宗の僧侶との対立により一山焼失する。その後,源義朝の舎弟といわれる化積上人(けしゃくしょうにん)が,平家追討の祈祷をとり行った。平家滅亡の念願かなった源頼朝(1147~99)がはじめて上洛の際,普門寺に立ち寄った。この上洛の際,雲谷・岩崎両村を寺領として寄進し,源家の繁栄を祈るため伽藍(がらん)の再興を梶原景季(1162~1200)に命じた。

 戦国時代に入り,今川・戸田の争奪をめぐり全山焼失する。その後,今川義元(1519~60)により再興され,続いて徳川時代には幕府の加護を受ける。昭和45(1970)年に文化財保護のための収蔵庫を建設。平成に入り諸堂の修復を行う。

 大正11(1922)年「阿弥陀如来坐像」「釈迦如来坐像」「四天王立像」,同12(23)年「銅経筒」が国宝に指定された。平成5(1993)年「不動明王,二童子各立像」が愛知県有形文化財に,昭和43(1968)年「普門寺の大杉」が豊橋市天然記念物に,平成9(1997)年「阿弥陀如来坐像」が豊橋市有形文化財に指定された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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