せいだんえんぜつかい

 明治14(1881)年2月10日から3夜連続して,自由党を標榜(ひょうぼう)する政談演説会が豊橋札木町(寄席「貸浮」)で開かれた。豊橋での自由民権運動はこれを契機に始まった。豊橋で最初といわれる政談演説会がどのような経緯で開かれたかについては不詳であるが,田原(田原市)の村松愛蔵(恒心社)や知立(知立市)の内藤魯一(三河交親社)が弁士に名を連ねていることから,何らかの働きかけがあったものと推測される。弁士は上記の2人と,地元の遊佐(ゆさ)発(ひらく),加藤平吉で,聴衆は毎夜300人を超えたといわれる。

 演題の一部を紹介すると,「国会尚早とは何の理由か」(村松愛蔵),「国家の精神は何の点に在る乎・圧制政府転覆論」(内藤魯一),「自由論」(遊佐発),「勢力論」(加藤平吉)などである。最終日の12日には,遊佐発,村雨案山子,加治千万人らが発起人となって大懇親会を百花園玉楼で開いた。参会する者数十人,席上こもごも立って演説を行い気勢をあげ,最後に「自由党団結ノ主義」を採択して散会した。この時,豊橋自由党が結成されたという。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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