ひろこうじ

 広小路は,豊橋駅前の豊橋市花田町西宿(広小路一丁目)より大手線(国道259号)の同神明町(広小路三丁目)までの延長約600mの道路である。開鑿当時は,「停車場通り(常盤通り)」に対して「新停車場通り」と呼ばれた豊橋市道(広小路1号線)である。

 明治43(1910)年9月に着工し,同45(12)年1月に豊橋駅前にあった安藤動物園が守下に移転し,同45(12)年5月に完成した。大正14(1925)年7月14日に豊橋電気軌道(豊橋鉄道)市内線(路面電車)が開通し,繁華街となり,このころから通称「広小路一~五丁目」(広小路一~三丁目)が使用された。昭和20(1945)年5月,一部で戦災による類焼防止の建物疎開が実施されたが,同20(45)年6月の豊橋戦災により焼失し,戦災復興土地区画整理により道路は拡張整備された。昭和25(1950)年10月に路面電車が「駅前大通り」に移設された。昭和33(1958)年1月に一部で防火建築の工事が開始され,同33年(58)年9月12日,戦災復興土地区画整理により「広小路一~三丁目」が設定された。平成2(1990)年11月に広小路ルネッサンス計画(歩道の拡張・電線の地中化・モニュメントの設置)が完成し,景観が一新された。なお,「広小路通り」は商店街の名称である。「広小路」の延長上の豊橋市大手町の国道259号より,同中世古町の通称「くすのき通り」までは,昭和34(1959)年に商店街の名称「広小路四・五丁目」となった。豊橋市は道路愛称「広小路通り」(広小路一丁目から中世古町まで)として,平成2(1990)年に認定した。

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!