しせいしこうから100ねん

 豊橋が全国62番目の市として市制を施行したのは明治39(1906)年8月1日である。明治21(1888)年,東海道線大府~浜松間の開通に伴い,豊橋駅が開業した。明治30(1897)年,豊川鉄道(飯田線),大正14(1925)年,渥美電鉄(豊橋鉄道渥美線),昭和2(1927)年愛知電気鉄道(名古屋鉄道),同11(36)年,二俣線(天竜浜名湖鉄道),さらに乗合自動車の路線網により,豊橋は東三河および浜名湖西地方を商圏とした。

 昭和20(1945)年6月の空襲によって,豊橋市街の90%は灰燼(かいじん)に帰したが,同33(58)から34(59)年に戦災復興土地区画整理事業が完成した。敗戦により軍隊がなくなり,南栄地区の旧軍施設の多くは,学校に転用された。また,高師原・天伯原の陸軍演習場は開拓されて,農地となった。しかし,ナイロンの発明により,製糸工業は全滅した。

 国土総合開発法(昭和25年)に基づく天竜東三河特定地域は,佐久間ダムと豊川用水を建設し,渥美半島の農業を一変させた。豊橋・渥美地区の農業は,大根・白菜・キャベツなど重量野菜や施設園芸と肉牛・乳牛・養豚,養鶏・養鶉(ようじゅん)などの畜産が主流となった。

 豊橋は,昭和39(1964)年,東三河工業整備特別地域(4市7町)に指定された。旧豊橋海軍航空隊跡・神野新田地区など豊橋港は昭和39(1964)年重要港湾に指定され,同47(72)年開港した。臨海工業地帯(昭和47年渥美郡田原町緑が浜・昭和48年豊橋市明海町)の造成が行われ,海苔・貝類の養殖を不可能にした。

 昭和39(1964)年,新幹線駅は豊橋駅に併置された。同44(69)年には東名高速道路が全線開通し,豊川にインターチェンジが開設された。豊橋駅前地区を中心とする商店街の繁栄は,自家用自動車時代を迎えるとともに,スーパーマーケットなど広い駐車場をもつ郊外型大規模小売店に対抗することが困難になった。

 関連項目 - 愛知大学(豊橋市町畑町町畑) 明海町 渥美線 飯田線 海軍航空隊 高師原・天伯原の開拓 空襲 下水道 東三河工特地域 天竜東三河総合開発計画 スーパーマーケット 水道 製糸 第15師団 二俣線 東海道線 都市計画 図書館(豊橋市羽根井町) 豊川用水 豊橋乗合自動車 海苔養殖

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
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