しかいそうじょうじけん

 豊橋市会騒擾事件は,大正11年(1922)8月,細谷豊橋市長が,八町高等小学校の移転・市立図書館の移転・公会堂の建設・市立商業学校の設立を提案したことから始まった。細谷市長と対立していた大口喜六を中心とした同志派は,財源が増税と市債であることから反対したため,しばしば市会が混乱した。反対の同志派と賛成の実業派はそれぞれの支持者に訴えたため,市民の関心を呼び,多くの市民が市役所に押しかける騒動となった。

 大正11(1922)年9月12日,原案どおり可決されたが,同志派支持者は納得せず,実業派議員や鈴木五六議長に暴行を加えた。大正11(1922)年9月13日,同志派は,市民の力で執行を阻止しようと,市民大会を開催した。大会終了後興奮した聴衆は,豊橋日日新聞社・参陽新聞社を襲い,瓦や石を投げつけガラス等を破壊した。警戒中の警察官が騒ぎを鎮め,群集が解散したのは12時ごろだった。2日間にわたる大騒擾の結果,警察に逮捕された者は20数人に及び,内13人が起訴され,12人が有罪の判決を言い渡された。

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豊橋市議の長坂です。
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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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