みょうりゅうじ

 延兼山妙立寺(日蓮宗)の創立は,元中3(1386)年2月で,開山は日什上人である。永禄11(1568)年,徳川家康は宇津山城(湖西市入出)に大原肥前守鎮実を攻めたとき,妙立寺に本陣をおき,寺の梵鐘(ぼんしょう)を合図に攻撃して大勝利をおさめたと伝えられている。家康は,吉兆の鐘として浜松城に納めさせ,代わりに尾張薬師寺の鐘を納めたという。江戸時代には76石の朱印を受けている。保延4(1138)年,藤原基衝筆の「紺紙金字法華経」10巻が国の重要文化財に指定されている。本尊は大曼荼羅(だいまんだら)である。

 池田輝政(1564~1613)は,天正18(1590)年7月吉田(豊橋)城主となった。遠州吉美(湖西市吉美)の妙立寺の住職日円上人に帰依し,毎月2~3回日円上人を吉田城に招き,2人の息子の手習師匠とした。日円上人は吉美から馬上で吉田まで通うので,その際,休憩所に当てるために建てられたのが妙円寺(豊橋市魚町)である。妙立寺は豊橋の妙円寺・妙泉寺の本寺であった。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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