ほうとくしゃ

 報徳社は,江戸末期の篤農家であった二宮尊徳(金次郎)の勤倹仕法の流れをくむ民間の運動・結社である小田原報徳社がはじめとされる。東三河地方では,八名郡の農家の間に広まった。運動の柱は,至誠・勤労・分度・推譲の4則を本義とし,精神面を強調するものであった。

 報徳社が三河に入ったのは,明治12(1879)年であり,同15(82)年には,山吉田(南設楽(したら)郡鳳来町)に三河報徳社が成立した。その後,徐々に八名(やな)郡・南設楽郡に広まっていった。豊橋市においては,明治17(1884)年に,萩平村と賀茂村が萩平報徳社・賀茂報徳社を起こした。豊橋市域では,明治29(1896)年に下条の五井村に,同41(1908)年に玉川の高井に,それぞれ報徳社が結成された。明治30(1897)年には,下条に藤ケ池組報徳社が結成された。報徳社は,明治33(1900)年,産業組合法の成立とともに,その中に吸収されていった。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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