どうしは

 同志派は,戦前の豊橋政界を実業派と2分した政治勢力である。明治31(1898)年に,実業派に対抗するために当時町長であった大口喜六が組織した。はじめ公同会と称したが,後に同志派といわれるようになった。同志派という名称は,当時愛知県会議員に政友派と同志派の2派があって大口喜六が同志派に属していたためといわれている。

 同志派と対立する実業派が,自由党系の流れを汲む政友会の色彩を深めたのに対し,同志派は改進党・憲政会の流れを汲む政治勢力として豊橋政財界を2分した。この両派は,地方議員選挙をはじめ,市制施行の賛否や遊郭移転問題,第15師団誘致に関する10万円問題,道路計画など,その時々の市政課題で激突し,一時期,政界・財界・言論界など豊橋を2分することとなった。特に言論界では,豊橋の郷土紙であった参陽新報(同志派)と新朝報(実業派)はそれぞれの機関紙的役割を果たすことになった。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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