よしだがま

 吉田鎌は,かつて東海道吉田(豊橋)宿の名物として知られた鎌である。厚い鉄を割って鋼を入れ,くっつけて薄くし,すいて地金だけをとってしまう(鋼を包んだ地金を鋼が出るまですいていく)製法で作られる。いわゆる「付け刃金」の鎌で,鋼が余分に外に出ていないために欠けにくく長持ちした。延宝8(1680)年前後の文書に「ご当代三州よし田のかまかぢ,なり・かっこうよくうち,よくきるる也」という記述があり,古くから吉田宿の鍛冶屋が鎌で名を売っていたことがわかる。

 吉田城下では,東海道の表通り沿い(豊橋市曲尺手(かねんて)町・鍛冶町付近)に40軒以上の鍛冶屋が営業を行っており,「吉田鍛冶」と呼ばれていた。吉田鍛冶の起源は永正2(1505)年とされ,牧野古白が吉田城築城時に牛久保村(豊川市牛久保町)から伴ってきた鍛冶職人に始まる。通常,城下町のまちづくりにおいては,職人町は裏通りに配置される。町の一等地の表通りに鍛冶屋が集団で安住し続けることは珍しく,この点が吉田鍛冶の大きな特色であった。城下はもちろん近隣からも顧客を集め隆盛を誇ったが,やがて社会構造の変化とともに分散化していった。

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!