よしだつちにんぎょう

 吉田土人形は,明治13(1880)年,地方歌舞伎の旅役者であった杉浦幸次郎(1834~98)が,豊橋札木町に窯を築き制作したことに始まる。杉浦幸次郎が人形を制作していた期間は10年ほどであり,天神,俵持童子,唐童子,鯛金時,達磨,狆(ちん),招き猫などの作品がわずかに現存しているにすぎない。

 人形作りは,明治25(1892)年に杉浦幸次郎に師事した吉田孫吉(1878~1929)によって継承され,吉田土人形の基盤が確立した。吉田孫吉は明治32(1899)年に独立して豊橋町曲尺手(かねんて)町に窯を築き,吉田土人形約250種の型を創作した。大正年間(1912~26)が制作の最盛期であった。吉田孫吉の創作した吉田赤天神は,豊橋を代表する土人形として現在も愛玩(あいがん)されている。

 関連項目 - 新吉田土人形

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!