よしはら・やじえもん(?~1673)

 吉原弥次右衛門は,遠江国敷知(ふち)郡利木(りき)村(湖西市利木)の人である。吉原弥次右衛門重次(初代)が,明暦2(1656)年,吉田(豊橋)藩主小笠原忠知に梅田川下流右岸の新田開発を願い出た。明暦3(1657)年,3代・吉原弥次右衛門によって新田20町歩が完成した。寛文7(1667)年の免状では,村高198石余であった。しかし,正徳2(1712)年の村差出帳では,芦原新田の村高303石余,家数14軒・人口106人となっている。初代・吉原弥次右衛門は,延宝元(1673)年12月,没した。

 参考文献 - 豊橋市立商業学校編「東三河産業功労者伝」
 関連項目 - 芦原新田

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