きょうどうよくじょう

 東三河では約40か所の共同浴場が,明治末期から昭和初期にかけて,沿海部に多く作られた。共同浴場の組合を有志で起こし建設,運営をした。最盛期には豊橋で16か所あり,東は東細谷町から西は梅薮町まであった。このうち牟呂町に5か所の共同浴場が設立され,近くの家ではほとんどが加入していた。建設の時に出資した組合員が甲種,出資しなかった組合員は乙種で,入浴料は月額で家族数によりきめられていた。甲種の方が安くなっていた。

 施設は,男湯・女湯に分かれ,土間の所が下駄箱で脱衣所が続き,引き戸を開けると浴槽がある。浴槽の中は銭湯と同じで1つ段があり10~15人が入れる。共同湯は,雇われた人が1年中罐(かま)たきから掃除までをした(組合によっては組合員が当番でやったところもある)ので,利用者は夕方(夏は6時ごろ,冬は4時ごろ)から夜11時ごろまで入ることができたためとても重宝した。普段は夕食が終わると家族で浴場へ行ったが,脱穀・籾摺(もみず)りの時や海の仕事で体が冷えた時と庚申様・集会時などは早く入浴した。

 燃料は石炭であったが,第2次世界大戦が激しくなると薪(たきぎ)を使い,戦後は罐を取り換えておがくずを使うようにした。昭和40(1965)年ごろから高度経済成長により,生活が豊かになり住宅の建替えをしたり,区画整理が進んで新築をしたため,家庭風呂を作るようになり,次第に組合員が減り運営できなくなった。

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!