にのみやきんじろうぞう

 第2次世界大戦前,多くの小学校には二宮金次郎(尊徳)像が建立された。豊橋市立前芝小学校の像は全国でその第1号といわれている。大正13(1924)年1月26日,皇太子の御成婚記念として,前芝村(豊橋市前芝町)の加藤六蔵が寄贈したものである。像は高さ1mほどのセメント像で,後年の薪(柴)を背負い読書する姿とは異なり,左肩に魚篭(びく),右手に書物を持つという漁村前芝村ならではの姿である。作者は当時加藤家の書生をしながら彫刻を勉強していた同村の藤原利平であった。藤原利平は豊川市立牛久保小学校にも作品を残している。これもセメント像で,昭和2(1927)年の講堂落成記念に建立され,当地方では2番目といわれる。ちなみに3番目は豊橋市立松山小学校の銅像で,翌昭和3(1928)年御大典記念に同校区出身の山田敏郎が寄贈したものである。なお,牛久保小学校(豊川市)と松山小学校(豊橋市)の尊徳像はいずれも薪を背負う読書姿である。

 愛知県内小学校の尊徳像の建立は,昭和8(1933)年から同11(36)年までがピークで,全体の66%にあたる201基が建てられている。その背景には深刻な農村不況があった。農山漁村の自力更生運動が叫ばれる中で,「勤倹力行」をねらいとする二宮尊徳の報徳仕法に関心が集まっていた。加藤六蔵が尊徳像の建立を思い立ったのも,この地方きっての報徳社運動の指導者渡辺平内治の影響によるものとされる。

- -
豊橋市議の長坂です。
豊橋のことをお調べくださり、ありがとうございます。

このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
苦節5年半「豊橋百科事典」とうとうオープンデータ化! - 愛知豊橋市長坂なおと のblog
http://nagasakanaoto.blog.jp/210125.html 
豊橋百科事典については、下記の豊橋市サイトからもご覧いただけます。
https://www.city.toyohashi.lg.jp/14682.htm 

では!