まるち・こうのすけ(1886~1972)

 丸地幸之助は,明治19(1886)年12月8日,渥美郡東田村(豊橋市東田(あずまだ)町)西郷に生まれた。古城と号した。大正3(1914)年から同10(21)年,名古屋新聞豊橋支局長を務め,同13(24)年,豊橋市会議員に当選した。昭和4(1929)年,豊橋市史編纂委員,同6(31)年,豊橋民政党幹事長,同9(34)年,第1次豊橋文化協会理事などに就任した。昭和21(1946)年から同25(50)年,豊橋市収入役となる。昭和34(1959)年,愛知県会議員を最後に政界から引退した。この間,昭和25(1950)年発掘された「瓜郷遺跡」を国の文化財に指定することに奔走した。昭和47(1972)年11月24日,没した。昭和39(1964)年に牛川稲荷山(豊橋市牛川町浪之上),同49(74)年石巻山中腹に歌碑が建立された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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