なかじま・たかこと(1806~58)

 中島隆功は,文化3(1806)年12月2日,備中松山(岡山県高梁(たかはし)市)藩主板倉勝政の子として生まれたが,中島勝邦の養嗣子となり,文政3(1820)年家督を継いだ。本居大平(もとおりおおひら)に国学・和歌を学び,中山美石(うまし)・糟谷磯丸とも親交をもち,「玉椿日記」などの紀行文を残している。また,武備にも意を用い,伊豆韮山(にらやま)の代官江川太郎左衛門と交わり,大砲を鋳造し領内に砲台を築造した。安政5(1858)年3月10日,没した。

 中島隆功の祖,旗本中島重好が渥美郡大崎村(豊橋市大崎町)600石を与えられたのは慶長6(1601)年で,その職務は三河湾内の海上警備・兵船管理・将軍上洛の時の浜名湖および宮・桑名間の渡海警備となっていた。その後,船手役は免ぜられ,交代寄合衆となった。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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