みかわけん

 三河県は,三河裁判所の後を受けて明治元(1868)年6月から翌2(69)年6月まで,政府の直轄県として設置された。管轄は三河国内の旧三河裁判所管轄地(旧天領)および旗本知行地・寺社領であった。旗本知行地や寺社領の県域編入を進める過程で,静岡藩および重原藩の領地替えが起こり,三河県は多くの村々を両藩へ割譲することとなった。そのため三河県は県として成り立たなくなり,残った村々を伊那県へ引き渡し,明治2(1869)年6月廃県となった。

 三河県庁は,宝飯郡赤坂駅(宝飯郡音羽町)の旧赤坂代官所に置かれた。知県事は長岡謙吉(怐)・水筑竜・鳥居朝道の3人が就任した。役人は三河裁判所と同様判事・権判事などの要職には他国の藩士が就任し,下位の実務担当者は現地での任用が多かった。藩士以外の採用は,古橋源六郎(稲橋村)など三河裁判所に比べて大幅に増加している。

 豊橋市内で三河県に属したのは二川,大岩,大崎,赤沢,万場新田,東伊古部(いこべ)・西伊古部,西七根(ななね),東七根,寺沢,小島,上細谷,下細谷であった。

 関連項目 - 静岡藩

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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