みかわじしん

 三河地震は,昭和20(1945)年1月13日午前3時38分ごろ渥美湾内の北緯34.7度,東経137.1度を震源として発生した。マグニチュード7.1,震度4であった(「愛知県災害誌」)。中国・四国地方から関東地方にいたる広い範囲で揺れを感じた。愛知県下では幡豆郡・碧海郡の被害が大きく,矢作古川の沖積平野および矢作川河口付近,渥美湾岸に被害が集中した。死者2252,負傷者3181,住宅の全壊5233に達した。豊橋市内では,激しい揺れを感じたが,人的被害は報告されていない。地震にともなう津波は蒲郡で1mを観測したが被害の報告はなかった。

 東南海地震(昭和19年12月7日)からわずか1か月後の発生で,損傷家屋が多かったこと,発生時刻が未明であったことから,地震の規模に比較して人的被害が大きかったとされる。第2次世界大戦中であったため,統計に差異が生じていて,その後文献により異なった数値が記載されている。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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