まんきゅうせいえんしゃ

 万久製煙社は,原田万久が起こした煙草(たばこ)製造工場である。明治14(1881)年,万久が中心となって,製煙社(煙草同業組合)を設立した。製品には,煙草社員証をはり他社の製品と区別した。明治17(1884)年の「商標条例」に対しては,いち早く登録商標を得るなどした。万久工場が製造する煙草は,品質・包装デザインともに優れていて,明治23(1890)年の内国勧業博覧会で好評を博した。

 明治27(1894)年には,工場に蒸気機関を導入し,生産効率の向上を図った。明治36(1903)年の製造高は刻(きざみ)煙草5万3878貫,紙巻煙草5986万5860本となり,職工447人,日雇25人を擁する大企業となった。刻煙草の製造高は全国第1位になった。販路は,愛知・静岡・三重だけでなく東京・大阪にまで広がった。

 明治37(1904)年,政府による煙草専売法が制定され,煙草製造が国営となったことで,民間の業者は廃業せざるを得なくなった。万久煙草工場も明治37(1904)年政府によって借り上げられた。明治43(1910)年から見付地方専売局豊橋出張所が設置されたが,大正15(1926)年煙草製造作業は廃止された。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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