ひがしみかわのせんごくじだい

 「東三河の戦国時代」(「東三河の戦国時代」刊行会 昭和60年)は,豊橋技術科学大学教授の横尾義貫が,地域計画は地域固有の風土と歴史に対する配慮がなければならないとの観点から,大名領国制が成立する東三河の歴史を書いたものである。鎌倉幕府と室町幕府の三河国守護についてふれて,本題の応仁の乱以後の三河国の戦国時代について,牧野古白(今橋城築城),今川氏親,松平信光などの国人の台頭と各氏族の抗争を,戸田氏,奥平氏,菅沼氏,西郷氏を加えて系図をあげて言及した。

 この国人抗争の中で今川義元が東三河を制したが,織田信長に桶狭間で敗れたので,当地方も今川領国から徳川家康の支配になり,徳川家康の遠江(とおとうみ)国進出の足掛かりとなった経緯について述べている。また,奥三河において長篠の戦いで織田信長・徳川家康の連合軍が武田勢を退けた。豊臣秀吉による徳川家康の関東移封に伴い徳川領国の後は,池田輝政が天正18(1590)年吉田(豊橋)15万2000石に封ぜられた。在任約10年間に,吉田城の拡張・城下町の整備など,近世吉田の繁栄の基礎を築いた。その後,池田輝政が関ヶ原の戦いの功労により姫路に移封され,吉田に松平家清が入城するまでについて記述されている。

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このページは、2006年12月発刊の豊橋百科事典を元に作成しています。
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